日本人なら誰しもが口にしたことがあるお寿司。
値段を問わず誰もが食べたことがあり、海外でも根付くようになりました。
そもそも寿司の起源を知っていますか?
聞いた事ある話から初めて知るようなお寿司のそんなお話。
寿司は屋台が発祥
今では安価な物から高級な物まであるお寿司ですが、元々は屋台が発祥です。
誰でも気軽に食べる事ができて、おやつのようにまるで石焼き芋のようなスタイルでした。
江戸時代から寿司の屋台は生まれ、人々に浸透してくるとやがてお店として構える寿司屋も登場しました。
しかし、おやつのような認識は長く、今のようにお酒も提供するという事はありませんでした。
寿司屋でお酒が提供されたのも大正の末から昭和に入ってからと以外にも最近の出来事なんです。
また、江戸時代にはトロは捨てられていた部位という話は有名ですが、大正時代後期から一部の人には好まれて食べられていたという文献が残されています。
当時はトロという名前ではなく、脂身のアブという名前でした。
ちなみにトロの名前の由来は肉質がトロっとしている、口の中に入れるとトロっとするからという理由です。
私たちが気軽に食べる事のできる回転寿司の最初は、1958年(昭和33年)に元禄産業(株)がオープンした「廻る元禄寿司」というお店です。
他にもある発祥の説
屋台から生まれた話が最も有力ですが実は他にも説があります。
- 漁師説
漁師が漁の合間に魚を薄く切り、醤油をかけて酢飯と合わせた物を素手で食したとされる説。
- 寺や神社説
古代の日本では寺や神社が重要視されていました。
その中で信仰の神や仏にお供え物として魚を利用、お供えだけでなく食事の際にも魚と米を組み合わせて栄養を摂るという習慣もありました。
元々寿司の発祥は日本ではなく、東南アジア起源とされています。
魚介類や肉に塩をまぶし米と共に漬け込むことで米を発酵することで魚や肉を長期保存できるようにしていました。
「なれずし」と呼ばれるそれは米がドロドロで魚を保存する為だけに米を使っていました。
これが伝わったのが奈良時代で江戸時代よりも前の時代になります。
まだ今のようなお寿司ではなく保存食の認識で、貴族だけしか食べられませんでした。
室町時代には漬け込む時間を短くし、魚と米を交互に漬け味を馴染ませここでやっと米と魚を同時に食べるという食べ方が生まれました。
そして江戸時代になると米の流通や生産が盛んになり、米酢の作成も行われるようになりました。
そうして庶民にもお寿司が行き届くようになりました。
ただこの時に寿司のネタはまだお刺身ではありませんでした。
お刺身が使われるようになったのは明治時代です。
それまでは生の保存方法がありませんでしたからね。
お寿司の雑学
- なぜ酢飯をシャリというの?
同じ言葉で舎利という仏教用語があります。
火葬されたお釈迦様の事を指し、細かく砕かれた骨と白さがお米に似ているからという説があります。
- 寿司にわさびやガリが付く理由は?
わさびは辛味によって味を引き締めたり魚の生臭さを消したり殺菌効果を持っているから。食中毒防止ですね。
ガリは生物の臭みを消すために口直しで食べる物。
ガリと言う名前は食べている時にガリガリ音がするから、生姜を削る時にガリガリ音がするから等の由来があります。
- 醤油をつける理由は?
醤油には生臭さを消す効果がある為に握り寿司に使われています。
- 湯呑みが大きい理由はあるの?
江戸時代の屋台では店主が1人で切り盛りしていたのでとても忙しいです。
そんな時にお茶のお代わりを出す手間を省くために湯呑みが大きく、今でも受け継がれています。
- なぜ寿司は二貫で出てくるの?
大きいのを1つよりも小さい物を2つの方が食べやすいのと2つ並んだものを日本人は好むから。
私たちにとって身近な寿司ですが紐解くと色々な歴史が積み重なって今の寿司があります。
もし誰かとお寿司を食べる機会があれば、話のネタにでもなればと思います。