【兎は鳥類じゃないのに何故1羽と数えるのか】徳川に関係する雑学3選

前回花火の話で徳川吉宗の話が出ました。

そこで思い出したのが3つの雑学。

徳川関係の雑学を思い出したので3つご紹介しようと思います。

毎回書いていると思い出す雑学が多いです。

記憶の引き出しをいつでも出せるようにしたいですね。

今回は諸説ある話もあるのでこれが絶対にそうとは限りません。

あくまで一部なので他にも説はあると思います。

なので今回の内容は話のネタにでもしてください。

 

 

雑学①なぜ兎の数え方は羽なのか

※諸説あり

これは徳川綱吉が発令した生類憐みの令が関係しています。

小学生か中学生の頃に習ったと思います。

これは獣を殺してはいけないという事なのですが、犬や馬や鼠等の四足歩行の動物を殺してはいけないというものでした。

しかし二足歩行の鳥類は殺しても罪に問われないという今考えると意味の分からない考え方ですね。

当時の人間はどうしても獣の肉を口にしたい。

肉は貴重なたんぱく源でしたからね。

なんとかして獣の肉を食べる方法はないのかと考えていたところ、目の前に兎が現れました。

しかし兎を食べては・・・

 

兎は両足でぴょんぴょん飛んでいます。

 

両足で飛んでいる・・・?

 

四足ではなく二足で歩行をしている!

 

二足歩行をしているということは鳥類だ!じゃあ殺して食べても問題はない!と無理やりこじつけて食べていたんです。

兎は鳥類だから食べても問題ないと。

だから兎は匹ではなく羽と数えるようにしたという説があります。

無理やりすぎますよね。

確かに二足で飛び回りますが、何故これが問題なかったのかは分かりません。

また兎の語源を「う」「さぎ」と分け、羽鷺と読み鳥類だと言い張った説もあります。

どちらもめちゃくちゃな考え方ですが、現代でも似たような事はなくもないですよね。

当時の食糧問題を考えるとあながち間違ってはいなさそうな説だとは思います。

何としてでも獣の肉を食べたい熱意が感じられます。

 

 

雑学②二条城は正式名称ではない

二条城はご存じですか?

徳川家康が徳川の威光を示すために建て、徳川幕府の始まりと終わりを見届けてきたお城です。

正式名称は元離宮二条城。

有名なお城ですよね。

また、二条城は二条亭とも呼ばれる事がありました。

江戸幕府は二条城と名付けていましたが、朝廷は御所(天皇の住むところ)の近くに軍事施設を意味する「城」の名を付ける事を嫌い「亭」という人の集まる建物につける言葉を使いました。

実際に二条城は庭園や御殿、壁屏風等が非常に美しく、重要文化財になるほどで朝廷が名付けた二条亭の方がしっくりくるかもしれません。

ちなみに二条城の他に、名古屋城も別名金鯱城(きんこじょう)とも呼ばれています。

このように異名、別名を持つお城は複数あるんですよ。

 

 

雑学③徳川家康の死因は鯛じゃない

※諸説あり

有名な話ですが、徳川家康の死因は鯛の天ぷらを食べたことによる腹痛という話がありますよね。

私も昔学校の先生から聞きました。

しかし、家康が無くなったのは天ぷらを食べてから3カ月後の話だった為、これが原因とは思えません。

流石に3カ月は長すぎます。

 

当時の家康の主治医の記録には腹部にしこりがあったとされており、現代の医療においても胃がんによく見られる症状と一致しています。

 

なので天ぷらを大量に食べた事により胃がんの症状を悪化させてしまったのかもしれませんね。

しかし家康は当時の平均寿命をゆうに超える75歳まで生きたので、長生きした方だと思います。

 

 

兎の話と徳川家康の死因には諸説あるので確実とは言えませんが話のネタにはなるとは思います。

現代の技術だからこそ分かった事が歴史には多いですよね。